人生には、さまざまな旅があります。
私たちは常に進むべき道を選び、成長と変化を経験します。
しかし、中でも特別な旅があります。
それは、親と子の関係が新たな段階に進む旅です。
子供が幼い頃、私はいつも彼と一緒にいたいと願っていました。
彼の成長に喜びを感じながら、彼の側にいることが私の「希望」でした。
しかし、時が経つにつれ、私たちは互いに変わっていくことに気づきました。
彼は自分の道を選び、自己実現を追求するために新たな旅に出る必要がありました。
これは喜ばしいことであり、誇りに思うべきことです。
しかし、心の奥底では、私は少し寂しさを感じています。
長らく悩んだ末、私は一つの考えにたどり着きました。
子供が成長し、自己を見つけるために親から離れていくのは、自然なことなのです。
彼が自分自身を見つけ、自分の夢や目標を追求する道を選ぶことは、彼の人生でとても大切な選択です。
親と子の道の分岐は、私たちにとって新たな冒険でもあります。
私は、人は生命尽きるまで成長しつづけるものだと思っています。
だからこそ、彼が自己を見つけ、自分の道を歩むことでの成長の幸せを願っています。
旅は、決して簡単ではありません。
なので、新たな道を歩む姿を見守っています。
心に刻まれた思い出
親だからこそ伝えたいことがあった。
大学から帰省した子供が「テレビも面白くないし。暇やから散策してくる。」と出かけて山の上から撮った写真を送ってくれました。
「こんな身近に素晴らしい景観があったんだねー」
「すんごくよかったよ。お母さんも登っておいでよ」
「背負ってくれる?」
「自分の足で登らんと感動は味わえないよ」
「膝痛いもん。写メおくって」
・・・ということで送ってもらいました。
こんな時もあったね。
懐かしい。
常識と非常識の狭間
時として、周囲に非常識な行動を奨める大人がいると、正しい判断を誤ることがあります。
しかし、常識と非常識は時と場合によって微妙な違いがあります。
人の判断基準は、周囲の状況や立場によっても、大きく影響を受けることがあると思います。
何が正しくて、何が間違っているのか?
しかし、ゆっくりと自分の考えを整理し、他の見え方も考えるようになりました。
その中で気づいたことは、常識や非常識は個人の価値観や経験によっても大きく異なるということでした。
何が正しいかを判断するためには、客観的な考え方と自分の価値観をバランス良く組み合わせる必要があるのです。
人は時に、間違った判断をすることはあります。
それは、ある意味人間らしさの一部でもあります。
常識と非常識は紙一重で、立場が変わると、常識も非常識になることを理解するまでには時間がかかりました。
一つの事実や行動を判断する際、自分の常識の範囲内で考えることが自然なことです。
しかし、非常識な提案をする人が周囲にいた場合、結果、いずれかが、混乱や迷いを抱えることになるでしょう。
そのとき大切なのは、冷静さを保ち、自身の価値観と経験を頼りに判断しなければなりません。
人生の道は複雑であり、迷いもつきものです。
自分の人生を歩んでいく上で、常識と非常識の境界を見極めながら進んでいくことが、課題となるでしょう。
時は同じではなく、常に変化しています。
自分が信じて進んできた道が誤りだと感じた場合、その時点で立ち止まって考える勇気も人には必要ではないでしょうか?
それが人生の「道」なのですから。